2024年4月18日木曜日

男の中の男 Yさん 3


三日前から書いてるYさんの話。
オレのおかんの再婚相手なんだけど、すげー人だったんだわ。

「だった」ってのは、先日亡くなったんだよ。
家族だけで簡単に葬儀を済ませたんだが、誰一人血がつながってねー。

オレの子が生まれた時から、オレも「お父さん」って呼んでた。
あんまし、そういう思いは無かったし、違和感があったけど。
でも、人として、尊敬できる人だった事は間違いない。

左が甥で、右がオレだ。
甥も姪も、オレの子も、みんな「じいちゃん」って言って泣いてた。
勿論、オレもすごく悲しかったし、泣いた。
みんな、Yさんには、優しくしてもらったし、沢山かわいがってもらった。

別に、再婚相手の子だとか、再婚相手の孫だから、
優しくしてくれたわけじゃねー。
Yさんは、万人に優しかった。


昔、入院中に知り合った親分さんが、万人に優しくしていて、
オレはその人が、やくざ的服装とか髪型が趣味な普通の人だと思ってた。
入院中に、その人にオレもかわいがってもらってたんだが、
その人とオレが話していたのを見てた他の人から、
「あんたが一緒にいたあの人、すごく偉い親分さんやぞ」って聞いて、
オレは、「そんなひどい事言っちゃいかんよ。
〇〇さんがやくざなはずはない。あの人はすんごくいい人なんや」
って言ったんだが、
よーーーーく、よーーーく考えると、どう考えてもその筋の人だった。
でも、ああいう人が上にいるから、
チンピラの人は抑えられているんだと思った訳よ。
まあ、そういう親分さんは、その人だけかもしれんし、
もうそういう人は居ないのかもしれんけど。

その親分さんが、堅気の人万人に優しかったのに似ている。


Yさんは、誰にだって優しかった。
自分と思想が違う軍国主義者の人に対しても、
ちゃんと反論するけど、あくまでも人として丁寧に扱ってたし、
思想と関係ないところでは、普通に付き合ってた。
だから、色々な人に好かれていたし、沢山の友人と山に行ったり、
旅行に行ったりしてた。


前回、金離れの良さについて触れたが、
オレのおかんと暮らし始めるまでは、給料が入ったら、
いつもたくさん食材を買ってきて、
長年、市民運動とか、平和運動をしている高齢の方とかを
たくさん部屋に招いて、酒や食事を振舞っていた。
貯金が無いわけだ(笑)


車にお金をかけたのは、多分若い時のS600だけだったんだろう。
オレが知ってる限りでは、かっこいい車に乗っていることはなかった。

おれのおかんと一緒になってからは、中古車を買って来たりしてたが、
その前は、いろんなところから出た車をもらったり、
安く払い下げてもらったりしてた。

トラックが普段使いの車だった頃も何度もあった。
しかも、社名入ったままだし(笑)
軽トラの時も、何度もあった。
思春期の頃って、そーいうので、どっかに連れて行ってもらったら、
恥ずかしく感じたりするもんだろ?
でも、そーいう思いは全くなかった

男の中の男が運転する車だし。

オレは多感な時期に、Yさんと一緒にいたから、
他人がうらやむ車じゃねーとだめとか、
みんなが欲しがるを服を着なきゃ駄目とか、
人と同じ物を持ってなきゃだめとか、
そーいう自分を持たねー情けねー心持たずに済んだのかもな。
そーいう教育は、実の父母からも受けてきたけど、
親には、反発するもんだし、親の言う事って、受け入れにくいもんだろ?
オレの子なんかも、オレの言う事は、わざと反発するもんな。


まあとにかく、Yさんは、
人を傷つけるような事は一切言わねーし、
無駄な事も言わねー、大切な事を端的に言うほかは、
時々、人を笑わせる事を言うだけ。

自分が誰かにとっていい事をしても、口に出して言わねー。
あくまでも、自分の信念に沿って行動してるだけだと、
心の中で自然体で思ってるだけ。

こういう人が、民主主義社会を発展させていくんだよ。


こんな立派な男に、オレはまだまだなれそうもねーよ。




また、続きを書くかもしんねーけど、読んでやってくだせー。



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返信は、気づいた時になると思うぜ。また、話し合いにすらならねーバカとやり取りする気はねーから、どうしても書きたいなら心して書けよ。
オレの記事を読みもしねーで記事と関係ねー事、しかも妄想炸裂のデマを書き込む差別主義者のオナニー野郎のパチンコ屋の父さんのブログのバカは、迷惑なので次はぜってーに許さねーからな!しつこいわバカ!